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アポリネールで読書週間ならぬ毒書週間(2013-10-31)
毎年11/3の文化の日を挟んで2週間が読書週間だが、常日頃、隙を見ては本を読んでるような人間にとっては、むしろ意識しづらいイベントだったりする
それでも今年は3連休で呑みの予定もないので、そこは引き籠って非日常的な読書をしようと思い立った
『サテュリコン』で「ローマの休日」
例えば、葡萄酒と乾酪を用意して、フェリーニの『サテリコン』のDVDを繰り返しかけながら・・・
画面で観てるのと同じシーンをペトロニウスの『サテュリコン』から探しながら読むとかね
『サテュリコン』は岩波の国原吉之助(きちのすけ)訳に慣れ親しんでるが、岩崎良三(りょうぞう)訳も筑摩世界文学大系で持ってて、これらを読み比べるなんてのも一興だし、その際には後者は電子書籍版を検索もできて便利だ
現代日本において古代ローマの非日常を味わうなんてのは、それだけで至福の「ローマの休日」だろうが、せっかくだから余韻さえじっくり愉しみたいと思うので、やるなら翌日も休みである連休が望ましいのだよ
そんな夢想をずっと胸に抱いてたので、初めて買ったDVDは『サテュリコン』だったのだが、発売後すぐは5千円くらいした、当時はVHSのビデオが1万円以上するのに慣れてたし、そもそもビデオでは売ってなかったので、DVDが発売されたコトが奇跡に思えてたから、廃盤になる前に買わなくてはと値段を気にしてはいなかったがね
アポリネールの『一万一千本の鞭』
そんなワケで「ローマの休日」も申し分ないのだが、今回は積読本の中から読めずにいる本を読むコトにした、もちろん読む意義のない本は購入してなくってよ、でも買ってすぐに勢いで読み始めるも、耐えられずに途中で放棄してしまうコトもあり、換言すれば、読む意義に到達できないままになってる本で、それを意義を感じるまでは頑張って読み進みたいと決心した次第!
ギョーム・アポリネールの『一万一千本の鞭』は、凄惨な場面の連続で悪夢に魘されてしまって中断したままだったが、つい最近、同じくアポリネールの『若きドン・ジュアンの冒険』を読んでみたら、こっちは何も問題なく最後まで読了できたのでリベンジだ、いや、むしろ『若きドン・ジュアンの冒険』は愉しく読み進めたし、余りにも清々しい終わり方には感動さえしたのだよ
ちなみに電子書籍版ではグーテンベルク21のも角川書店のも、訳者は須賀慣(すがなれる)なのだが、この「すがなれる」という名はドン・ジュアンの下僕の名で、当然ながら本名ではなくってよ、正体は仏文学者の鈴木豊で、須賀慣は富士見ロマン文庫のポルノ小説用の名義だ
鈴木豊としては講談社文芸文庫の『虐殺された詩人』があるが、90年代に出てた表紙がビアズリーの版は絶版か・・・と、話を『若きドン・ジュアンの冒険』に戻そう
この『若きドン・ジュアンの冒険』を読むきっかけとなったのは、ジョージ・バーナード・ショーの『人と超人』だったが、これでドン・ジュアン(ドン・ファン)について再考したくなって、モリエールの『ドン・ジュアン』を再読すべく、電子書籍になってるか確認してたら検索に引っかかってきたのだ
モリエールの『ドン・ジュアン』は岩波文庫で持ってるが、女癖が病的に悪いってだけのそれ以外は人畜無害な貴族の子息なので、軽佻浮薄を貫く信念という矛盾した展開が可笑しい
それと比してアポリネールの描くドン・ジュアンの人物像は、『一万一千本の鞭』から想像するだに恐ろしかったが、ググってみるとドン・ジュアン当人の物語でなく、映画化されたモノが日本でも『蒼い衝動』として公開されてて、深夜映画で観た記憶があった、うろ覚えだが少年が家庭教師と初体験=濃厚ではなく、その原作だったら読めないレベルではなくね?
怖いもの見たさも手伝って電子書籍を購入して読んでみたら、先述の通り、フツーに、いや、愉快に読めたし、モリエールの軽妙な『ドン・ジュアン』と比しても、ラストは断然アポリネールの方が好かった!尤もモリエールの時代には当局が検閲にうるさかったので、ましてや脚本ともなると上映禁止にされるのは不味いからってコトで、あの終わり方しかやりようがなかったのかもだがね
となると、俄然『一万一千本の鞭』の結末が知りたくなって、須賀慣訳の角川文庫の電子書籍版を購入したが、表紙の原画がルネサンスの画家ピエロ・ディ・コジモで、モデルの女性はシモネッタ・ヴェスプッチなのも、これを選んだ理由だ
最初から最後まで3日かけて読了した感想は、頑張って読んだ甲斐があった!!
とにかく主人公のプリンス・モニイ・ヴィベスクが、あらん限りの在り得ない非道を尽くすのだが、汚なさの点では食欲も性欲も喪失するレベルに不潔極まりなく、潔癖症の人間に読ませたら憤死するコト間違いナシ、残虐さの方はさすがに読み飛ばさずにはいられないシーンもあったが、ずっと許容範囲を超えた状態だと憐憫の情も尽きてくるし、想像しないように思考を止めてしまうスイッチも入るようになり、機械的に文面を追ってやり過ごしてしまえた
途中から日露戦争の戦場に舞台が移動すると、戦地に娼館があって、そこにいる日本人の娼婦が境遇を語るのだが、アポリネールはまるで日本の文化に造詣が深そうに、色々織り交ぜてきて、結果的にちぐはぐになってて可笑しいし、日本軍の捕虜となったプリンス・モニイ・ヴィベスクが、処刑を言い渡されて惨殺されるラスト・シーンは、こう言っちゃあ何だがやはり清々しかった
一切の虚飾を剥ぎ取って、恥辱の限りを与え、息の根を止めるに飽き足らず、血肉まで削ぎ落として
さあ、この骨も露わな肉塊が人間の正体だ!どうだ、皆いずれこうなる!!
う~む、実に清々しい!タイトルの謎も解けて読後は爽やかな気分にさえなったが、誤解のないように付け加えれば、決して人間の尊厳を蔑にしてるワケではなくってよ